LOT.205
小林 一茶
画賛「おらが世やそこらの草も餅になる」
[展覧会歴]:『一茶名品展』No.33として出品 同展覧会パンフレットの表紙作品として掲載 (名古屋松坂屋:1940年)
〈作家・作品について〉
「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」など誰もが知る句を残した小林一茶は、1763 年、信濃国柏原に生まれ、後に「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して、松尾芭蕉や与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧人となる。
作中の句「おらが世やそこらの草も餅になる」は1810 年から1818 年まで記録された一茶の代表的な句日記「七番日記」に収められているものであり、いわゆる「一茶調」の完成期に相当する時代のものである。また、同句日記には「瘦蛙負けるな一茶是に有」といった名作も登場するが、本作の句の内容は「春ともなれば、そこら辺に生えている蓬(ヨモギ)の若草を摘んで、草餅にして食べよう。有難い世になったものだなぁ」と現代語訳が出来、その前書きである「花をめで月にかなしむは雲の上人の事にして」は「月を賞美し、花にあわれをもよおすのは、上流階級の人たちの事、吾々下々の者の生活には、そんな余裕などはありはしない」といった意味であり、落款部分に「臼も一茶」と書かれているところから、描かれた臼の絵も一茶によるものであると示唆できる部分は本作品の持つ魅力一つといえよう。
箱書の小林蹴月は長野県出身の小説家・劇作家・俳人であり、林順亮は天台宗の僧、小林一茶の筆跡研究家である。また、本作品は1940 年に松坂屋で開催された「一茶名品展」に出品されており、当該展覧会パンフレットの表紙も飾る逸品である。
俳句が庶民の生活を映すという性格から徐々に乖離し、上流階級の伝統観や価値観に添ったものへと変容しつつあった時代において、1815 年頃に詠まれたとされる本作の句は、原点回帰を求めた一茶によるある種のアンチテーゼであり、「庶民階級」のかげの声を、最も率直に大胆に代弁した一茶の想いを感じられる一句となっている。