LOT.123
Man Ray (マン・レイ)
Le Violon d'Ingres (アングルのバイオリン)
[展覧会歴]:『Man Ray disegni, Rayografie, fotografie, incisioni, edizioni numerate duecentoventi opere: 1912-1971』No.74として出品 / 同展覧会図録 掲載 (Galleria Milano:1971年)
[来歴]:
Galleria Schwarz (ミラノ)
Galleria Milano (ミラノ)
Galleria D’arte Niccoli (パルマ)
個人蔵 - 1985年に上記より取得
【作品について】
2022 年5 月14 日にChristie's がニューヨークで開催したオークション「The Surrealist Worldof Rosalind Gersten Jacobs and Melvin Jacobs」に出品されたMan Ray ( マン・レイ) による「LeViolon d'Ingres ( アングルのバイオリン)」がオークションにおける写真作品の史上最高価格、1,240万ドル( 当時のレートで約16 億円) で落札されたのは記憶に新しいが、この目覚ましい結果は「アングルのバイオリン」が如何に世界的に知られており、且つ、魅力的な作品であるかということを再確認するきっかけともなったことであろう。
タイトルの「Le Violond'Ingres」は、「アングルのバイオリン」という
そのままの意味以外に、「本職以外の特技、趣味、下手の横好き」といった意味をもっている。これはフランス画家のDominique Ingres ( ドミニク・アングル) がバイオリンを好み、アトリエを訪ねてくる人々に無理矢理弾いて聴かせていたというストーリーが由来となるフランス語の慣用句であり、写真家としてだけではなく、画家や彫刻家、映画監督として活躍したマン・レイならではの巧みな言葉遊びの一つであるともいえるが、もちろん、ドミニク・アングルの生み出した作品からの影響も「Grance Odalisque ( グランド・オダリスク)」や「The Valpinçon Bather ( ヴァルパンソンの浴女)」といった作品を見れば一目瞭然である。
何よりも印象的なのは、自然な丸みを帯びた女性の背中に、身体をバイオリンに見立てるための2 つのサウンドホールのカタチが付けられていることであろう。頭に巻かれたターバンはアングルのそれを想起させ、耳飾りのそばからは黒髪をのぞかせる。心なしか写真家に、或いは鑑賞者に意識を向けているようにもみえる本作品の被写体はAlice Prin ( アリス・プラン)。モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、シャイム・スーティン、モイーズ・キスリング、藤田嗣治らのモデルを引き受け、モンパルナスのキキとも呼ばれた女性である。特に藤田嗣治についていえば、1922 年、サロン・ドートンヌに出品し、フランスで画家として認められる大きなきっかけとなった作品「Nu à la toile de jouy( 寝室の裸婦キキ)」のモデルを務めたのもキキであり、エコール・ド・パリの時代を語るにおいて、決して欠かすことのできない重要な人物である。
藤田嗣治とキキについていえば、貧しい時にお互いを支えあったというエピソードは残っているものの、あくまでも画家とモデル、或いはその時代を共に生き抜いた仲間といった関係にとどまっていたが、マン・レイにキキに対してモデルとして以上の想いがあったようであり、キキがマン・レイのモデルになるということを受け入れるまでの心情とその経緯はマン・レイの以下の手記にて知ることができる。
それでもなおキキは、いたる所に自分の写真があるなんていやだと不服を唱えた。
でも、君が裸でポーズをして、その絵がしょっちゅう展覧会に出るし、
君の名前が題名になっていることもあるではないか、
とわたしは食い下がった。
でも、画家は事物の外見をいつだって変形させることはできるけれど、
写真家はあまりに事実べったりすぎるのよ、
と彼女は言いかえした。
ぼくのはちがうよ、ぼくは絵を描くように写真を撮るんだ。
画家が好きなように主題を変形するように変形し、
画家がやるのと同じように自由に理想化したり歪形( デフォルメ ) するのだ、とわたしも粘った。
そうよ、マン・レイは魔術師なのよ、とマリイも言った。
キキはモデルになることを承知し、日を決めた。
そしてその日ホテルのわたしの部屋にやってきた。
学生の頃からわたしは裸婦というものを無心な画家の眼でもって見ていたわけではなかった。
そうだったらこのときもそれができただろう。
神経質になり興奮していて、気持を冷静に保ちうるかどうか怪しかった。
キキは片隅の洗面器を隠す仕切りのかげで着物を脱ぎ、
出て来たが、つつましやかに手でまえを押さえていて、
まさしくアングルの絵《泉》そっくりだった。
結局のところ、作品の制作後2 人は恋人同士となり、7 年に渡って同棲生活を送るだけではなく、その後のマン・レイのいくつかの写真作品や映画作品にも登場することになるのであるが、この作家とモデルとしての駆け引きは「 Le Violond'Ingres ( アングルのバイオリン)」の制作のために必要不可欠なプロセスの一つであったようにも思われ、それ故、完成された作品からは画家、ドミニク・アングルへの尊敬とキキへの愛との融合を感じ取ることができ、現代においてもシュルレアリスムの写真の最高傑作としてその存在感を失わずにいられるのであろう。
「Le Violon d'Ingres ( アングルのバイオリン)」は1924 年の制作当時から現在まで人々の目を引く印象的な作品であるため、マン・レイは作品を複製するために、1924 年に完成したレイヨグラフ技法によるオリジナルの写真を5 × 7 の大判カメラで撮影し、現在はパリのポンピドゥーセンターに所蔵されているコピーネガティブを作成した。
その後、マン・レイの許可のもと作成されたヴァリエーションは全て上記のコピーネガティブからできており、1965 年にギターに似せたような3 本の線の入った作品が限定3 部、1970 年頃に制作されたシルクスクリーン作品で白黒作品が限定3 部、シアン色が限定2 部、マゼンタ色が限定1 部のみ制作され、そして、1970 年頃にはゼラチンシルバープリントの作品( 限定8 部+ 作家保存用3 部) が制作されており、本出品作品は1970 年頃に制作された限定8 部のゼラチンシルバープリント作品の内の1 つとなっている。
文豪ヘミングウェイにも、「キキはまさに眼福であった。最初から美しい顔立ちをもち、それを自分の手で美術品に作りあげた。すばらしく美しい肉体と美しい声をもち、たしかにキキは、ヴィクトリア女王がヴィクトリア時代に君臨したよりも、モンパルナスのあの「時代」にどっしりと君臨していた」と言わせるほどの魅力を持ったアリス・プラン( キキ)。性格は非常に衝動的で、社会の因習に拘束されないものであったとされているが、「Le Violon d'Ingres 」で見せるその美しい背中と遠くへ向ける眼差しは、静かにそして官能的に私たちの心を惹きつけるのである。