LOT.127
棟方 志功〈1903-1975〉
祝網の柵 (天網の柵)
[参考文献]:『棟方志功全集 第七巻 女人の柵 (1)』P178, No.156 及びNo.145 (講談社:1978年)
『棟方志功板画全柵』P391-392 (講談社:1985年)
『棟方志功板画大柵』P164 (講談社:1969年)
[来歴]:
初代 水谷八重子 (東京)
二代目 水谷八重子 (東京)
〈作品について〉
作品の裏には「祝網の柵」( 板畫) " 一九五九、 紐育にて"作と棟方自身によって書かれたシール が貼られている。1959 年の1 月、棟方はロックフェラー家第3 代当主デイヴィッド・ロックフェ ラー夫人とジャパン・ソサエティーの招きにより 初めての渡米を経験し、アメリカ滞在中の棟方はニューヨーク近代美術館(MoMA) へと赴き、 MoMA に展示されていた世界中の名品を双眼鏡を通して丹念に鑑賞したという。その中でも特に棟方の心を捉えたのはPablo Picasso ( パブロ・ピカ ソ) による「Guernica ( ゲルニカ)」( 現在、「ゲルニ カ」はマドリード市内の国立ソフィア王妃芸術センターが所蔵先となっているが、当時、第二次世界大戦から難を逃れるため、その後の1981 年にス ペインへの返還が決定するまで作品はMoMA に 保管されており、1981 年から1992 年まではプラ ド美術館、1992 年以降は国立ソフィア王妃芸術 センターにて展示されている) であり、1964 年に 出版された著書「板極道」では「わたくしがアメリ カでいちばんおどろいた絵といえば、結局はピカソ 《ゲルニカ》でした。あれは本物です。モダン・ アートミュージアムの壁面にかけてあったのを見 まして、りっばな作品だと手を打ちました。これ は、本当にすばらしい絵画と、手を握りました。 わたくしは、絵などを見て、あまり、驚かない方 ですが、あれだけはおどろきました。それから、 パリのユネスコにあるピカソの壁画、これもずい ぶん描写の布置を心得た作品でした。あれは、赤 い色が主になって見えましたが、こっちの《ゲルニ カ》は、黒が基調のようでした。なんともいえな い大きさですが、仕事のりっばさが、もう、いっぱ いになっていました」という言葉を残している。
1959 年に中央公論社から発行された「コウ ロン」(12 月8 日号) の表紙でも使用されている本 作品では、黒い墨で摺られた女性たちが天から垂れ 下がる網の中で楽しそうに踊っているようであ る。鳥や花が万物を表すかのように画中にバラン スよく配置されており、作品の大きさも相まって、 天からの恵みに対する喜びを表現している大変見 ごたえのある作品となっているが、上述した棟方 の渡米記録や作品の制作時期から、本作品にパブ ロ・ピカソの「ゲルニカ」からの影響を見る向き もある。
ゲルニカは1936 年に勃発したスペイン内戦中、 1937 年の4 月にビスカヤ県のゲルニカがドイツ 空軍によって無差別爆撃を受けたことからその名 がつけられた作品である。1937 年にはピカソの 活動の地であったパリにて万博の開催が予定され ており、同年の初めからスペイン政府はピカソに 万博へ向けての作品制作を依頼していたが、4 月 のゲルニカ爆撃のニュースを受けて、ピカソはゲ ルニカの制作に取り掛かる。そのため、長さが 8m にも届かんばかりのその壁画では、子の屍を 抱く女や剣を握りしめながら息絶える戦士など、 包み隠さず戦争の悲惨さが描かれている。一見す ると「祝網の柵 ( 天網の柵)」と「ゲルニカ」とで は、描かれているものに大きな隔たりがあるよう に感じられるが、本作が「ゲルニカ」から影響を 受けて制作されたものであるとするのならば、画 面上の悲しみや悲惨さをそのまま引用するのでは なく、あくまでも、画面上の人々に悲惨さを与え ることなく、天網によって悪事を捉え、或いは天 網をもって悪事から身を守ることで平和を望むと いう非常に棟方らしい発想の転換がなされている といえるであろう。
また、MoMA 所蔵のピカソ作品といえば、そ の代表作「Les Demoiselles d'Avignon ( アヴィ ニョンの娘たち) 」が挙げられるであろう。作中に登場する人物の数は「アヴィニョンの娘たち」 が5 人であるのに対して、「天網の柵」では4 人 という違いはあるものの、1939 年から現在まで もMoMa で常設されているこの名品を棟方が見た のはほぼ間違いがなく、このキュビスムの起点と も呼ばれる名画の方が、構図としてもより本作品 への直接的な影響を見て取れるようである。 画中の人物の配置や構図については「アヴィ ニョンの娘」たち、その世界観については「ゲルニ カ」からの影響を想像できるが、いずれにしても、 本作品がただのピカソ作品へのオマージュとはな らず、棟方作品の本筋である板画という技法をもって、 見事に自身の作品へと昇華されているのが、棟方 の凄さであり、それこそが現代になってもなお本 作品が評価される所以の一つであると言えよう。
本作品と同じ版木を使用した作品は後に「天網の柵」とタイトルへと改められることとなり、本 作品についても、棟方志功鑑定委員会の鑑定登録 では「天網の柵」となっている。
「天網」というと「天網恢恢疎にして漏らさず」 という老子の言葉が思い出される。原文は「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失」であり、「天は争わずして相手に勝ち、もの言わずして相手を感化し、 招かなくても相手が自然に来るようにする。その ようすは緩慢なようであるが完璧に計算されてい るのである。天の網は広く大きく粗いようだが、 決して見過ごすことはない」と訳される。この画題はまさに悪の含まれる戦争に対する表現を含む 「ゲルニカ」からの着想を示唆するものであるが、 本作品制作時には「祝網の柵」という画題がつけられていることから、上述したように棟方があくまでも戦争や紛争による悲惨さをそのまま伝えようとするのではなく、むしろその真逆の視点から再解釈したという意思が感じられるのである。
棟方の板画作品にエディション数の記載はないが、基本的には全て自身の手によって紙に摺られ ているということから、一つの作品に対して、特 に本作品のような大きな作品を何十枚も制作したとは考え難いが、現存するほとんどの同じ構図をもつ作品のタイトルが「天網の柵」であることや、 「祝網の柵」と名付けられている作品が他に見当 たらないことからして、全ての摺りの中でも最初 期に制作されたものであることが推察される。また、作品の裏に「祝網の柵」( 板畫) " 一九五九、 紐育にて" 作と棟方自身によって書かれたシールが貼られていることからも、本作品がニューヨークで様々な作品からの刺激を受けた棟方が、その 熱い想いの冷めないうちに現地で制作したということがわかる。この事実は、作品をより一層貴重 なものへと押し上げる要素となっており、2022 年 1 月4 日に放送された『開運!なんでも鑑定団新春3 時間半スペシャル』に、当時の所有者であった二代目水谷八重子によって出品されたというエピソードもまた、作品来歴に花を添えている。