LOT.129
棟方 志功〈1903-1975〉
十大弟子の図 / 両妃図
[掲載文献]:『棟方志功全集 第三巻 神々の柵 (2)』No.203, 204としてカラー掲載、 P192, No.67, 68として掲載 (講談社:1979年)
[展覧会歴]:『愛染苑、40年。~志功と俊彦の物語~』出品 / 同展覧会図録 P6 掲載 (福光美術館:2022年)
[来歴]:個人蔵
〈作品について〉
棟方志功は第二次世界大戦の末期、1945 年( 昭和20 年) に家族とともに富山県福光町( 現在の南砺市) へ疎開し、同地にて6 年と8 か月の間生活をした。疎開先の福光では棟方の板画をする仕事を手伝っていた石崎俊彦氏から提供された土地に棟方は自宅を建て、初めて自宅を持った喜びから家中の壁や板戸、風呂桶にまでさまざまな絵を描き込んだといい、アトリエを「鯉雨画斎(りうがさい)」、家を含めた敷地内を「愛染苑(あいぜんえん)」と名付けた。
棟方が帰京し、石崎氏は晩年になってから所有していた棟方作品と土地を旧福光町に寄贈し、1982 年に「棟方志功記念館 愛染苑」が開館したため、この「愛染苑」の至る所に描き出された作品たちは、その殆どが現在でも記念館で見ることができるようになっている。本作品「十大弟子図/ 両妃図 」も当初は「鯉雨画斎」の中の厠の板戸に描かれたものであったため、現在の棟方志功記念館に展示されていてもおかしくない作品ではあるが、本作品についていえば、石崎氏が旧福光町に寄贈する前に、所有者の遺族が石崎氏より譲り受けため、愛染苑からは独立した形で長い期間保管されてきたものである。
画題として「十大弟子」という名が使用されている所以は、板戸の格子によって仕切られた部分に「多聞」「持戒」「解空」「説法」「頭陀」「輪義」「智恵」「天眼」「神通」「密行」の文字が記されていることによっており、これらの文字はそれぞれの釈迦十大弟子に対応する言葉である。
棟方志功の代表作「二菩薩釈迦十大弟子」は1939 年の制作であり、本作品はその後に描かれたものである。著作「板画の肌」の中で棟方は「裸体( ハダカ) の、マッパダカの顔の額の上に丸い星をつければ、もう立派な仏様になって仕舞う」「額の星がつくと、つかないとで、タダの素裸の女であったり、ホトケサマに成り切ったりする」と言い、仏と人間の違いを白毫(びゃくごう)の有無に見出す。そのため、「二菩薩釈迦十大弟子」の弟子の眉間に白毫は存在しないが、本作品の中ではそれぞれの眉間に白毫がつけられている。これは当時の棟方が勢いでつけたものなのか、或いは、それぞれの弟子が仏になった様子を示したのかは定かでないが、この頓着のなさも棟方らしさの一つである。また、「十大弟子図」の裏面にある「両妃図」にも白毫のつけられた菩薩がつけられており、釈迦十大弟子が5 枚の版木の両面に彫られたように、本作品もまた両面を併せて、「二菩薩釈迦十大弟子」と似た体裁をとっている。
本作品は『棟方志功全集 第三巻 神々の柵 (2)』( 講談社:1979 年)のNo.203, 204 としてカラーで掲載されている他、『愛染苑、40 年。~志功と俊彦の物語~』という2022 年に福光美術館にて開催された展覧会にも出品されており、当時の展示風景はいくつかのオンライン記事にて確認することができる。
本来であれば「棟方志功記念館 愛染苑」に所蔵されていてもおかしくない作品。棟方が作品の制作場所として選び生活した「鯉雨画斎」に確かに存在した本作品は、他の作品にはない、初めて自分の家(鯉雨画斎)を持った棟方志功が、喜びあふれて筆を振るった様子が鮮明に伝わってくる逸品となっている。
1 多聞 ( 多聞第一)
出家して以来、釈迦が死ぬまで25 年間、釈迦の付き人をした「阿難陀 ( あなんだ)」。
2 持戒 ( 持律第一)
階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた「優波離 ( うぱり)」。
3 解空 ( 解空第一)
空を説く大乗経典にしばしば登場する「須菩提 ( しゅぼだい)」。
4 説法 ( 説法第一)
他の弟子より説法が優れており、「富楼那」とも呼ばれた「富楼那弥多羅尼子 ( ふるなみたらにし)」。
5 頭陀 ( 頭陀第一)
釈迦の死後、その教団を統率し、第1 結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務め、第2 祖ともされた「摩訶迦葉 ( まかかしょう)」。
6 輪義 ( 論議第一)
辺地では5 人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た「摩訶迦旃延 ( まかかせんねん)」。
7 智恵 ( 智慧第一)
仏の力を承けた観音菩薩の説法の相手として登場する「舎利弗 ( しゃりほつ)」。
8 天眼 ( 天眼第一)
仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた「阿那律 ( あなりつ)」
9 神通 ( 神通第一)
舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった「摩訶目犍連 ( まかもっけんれん)」。
10 密行 ( 密行第一)
釈迦の長男で、釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる「羅睺羅 ( らごら)」。