LOT.163
児島 虎次郎〈1881-1929〉
アトリエの庭
[展覧会歴]:『児島虎次郎遺作展覧會』出品 / 同展覧会図録 No.64掲載 (三角堂:1936年)
〈作品について〉
児島虎次郎(1881-1929) は、日本初の西洋美術中心の私立美術館である大原美術館のコレクションの礎を築くとともに、日本における印象派の代表的な画家として、近代洋画史に名を遺す。画業の短さと、倉敷を拠点に活動していたことなどから、世に広く知られることが長らくなかったが、近年より回顧展の開催や研究の進展によって再評価の機運が高まっている。
今回、オークションに児島作品が出品されることは極めて稀な機会である。ぜひこの機を逃さず、没後100 年近く経てもなお輝く、鮮やかな色彩と光が織りなす絵画を味わっていただきたい。
岡山県の山間部に位置する成羽の商家に生まれた児島は、幼い頃から絵を好み、家族の反対を受けながらも、洋画家を志して東京へと出る。1902 年に東京美術学校に入学し、その際に倉敷の実業家大原家の奨学生となったことで、大原孫三郎と生涯にわたる親交を結んだ。
児島は近代洋画の父と呼ばれる黒田清輝や藤島武二らに師事し、黒田がフランスからもたらした穏やかな外光表現や確かなデッサン力を身につけ、成績優秀なため飛び級によって2 年で美術学校を卒業する。そして1907 年の東京府主催の勧業博覧会美術展で画壇デビューを果たすと、そこで1等賞を受賞、さらに宮内省御買い上げの栄誉を受け、その快挙に喜んだ大原孫三郎の勧めでヨーロッパへの留学が決まった。
1908 年にフランスに到着した児島は、パリや師の黒田も暮らした風光明媚な農村グレに移り住む。さらに翌年にはベルギーのゲントに向かい、現地の美術アカデミーに通いつつ3 年間過ごし、急速に画風を変化させた。
ベルギーのアカデミーは、フランスで興った印象派の影響を受けながらも、フランスの光と色彩が溶け合うような軽快な表現とは異なり、より光線の少ない北欧らしく光の表現を強く意識する傾向があり、児島もその薫陶を受ける。日本で学んだ外光表現から少しずつ脱却し、さらに新印象派に見られる筆触分割のように、絵の具の原色を混ぜずにキャンバスに置く描写によって豊麗な色彩世界を生みだして、当時の日本人画家では突出した明るく純粋な光を描きだす画家となった。
1912 年に帰国すると、倉敷郊外の酒津にアトリエを構え、日本の風土に合った独自の表現を模索する。そして1919 年に2 度目の渡欧に旅立つが、その目的は自身の絵画修行のみならず、「日本の画学生たちにも本物の西洋画を見せたい」という思いから、西洋絵画収集という使命感も秘めていた。その思いに賛同した大原孫三郎の援助を受けて、児島はヨーロッパ各地を巡り、絵画制作とコレクション収集に励む。帰国後に倉敷にてコレクションの展覧会を行うと好評を博し、さらに力を入れた収集を目指して1922 年に3 度目の渡欧も果たした。
しかし帰国後、児島は度々の外遊や制作依頼などの多忙によって病に倒れ、47 歳で世を去る。友人の死を深く悲しんだ大原孫三郎は、彼の功績を記念する意味ももって、1929 年に大原美術館を開館し、児島が集めた西洋美術の名作たちは美術館の中核となった。また1972 年から2018 年にかけて倉敷アイビースクエア内に「大原美術館・児島虎次郎記念館」(現・愛美赤煉瓦館)が開かれ、児島の初期から晩年までの作品を一堂に展示し、その画業を顕彰しつづけた。
今回オークションに出品される《アトリエの庭》は、画家の魅力を存分に伝える逸品といえよう。花が爛漫と咲く庭にて2 人の少女が椅子に座り、庭の奥ではイーゼルを立てて絵を描く男性が表される。手前にある蔦に覆われたパーゴラや植栽などから、舞台は酒津のアトリエであり、ともすれば少女たちは画家の娘で、男性は画家本人と見え、自画像的な要素も備える。
画家の特色である光と色の明るさが本作でも発揮されるが、画面手前を日陰にして暗くすることで、奥に広がる庭の開放感と、そこに燦燦と降りそそぐ陽光を一層と強め、眩しいほどのきらめきを感じさせる。加えて、少女たちの身体には柔らかな光が回りこんでおり、その効果で日陰の中でも確かな存在感をもち、遠景の画家本人も真っ白なパラソルとの対比で姿が際立つ。
この光と影の巧みな演出は、留学時代よりもさらに発展した表現であり、児島独自のスタイルが創出されたことを示す。本作の制作年は不明だが、子どもたちの年齢から画家が3 度目の渡欧から帰国した1923 年以降と考えられ、円熟を迎えた画家の表現力と、家族と過ごす幸福が一体となった作品である。
一方、今回出品作《酒津の農夫》は、画家の故郷にある高梁市成羽美術館に、本作と同タイトル・同構図で、縦162 ×横114.5cm の大作が所蔵されており、美術館作品が最初の留学から帰ってすぐの1914 年制作なので、本作も近しい頃に描かれたものと見られる。
緑豊かな酒津の農村を背景に、麦わら帽子をかぶった農夫の姿を描き、初夏の強い光と、青々と茂る草木と農民の日に焼けた肌が色鮮やかで、ベルギーで習得した成果が表れる。
筆触については、チューブから直接絵の具を塗り、パレットナイフを使った痕が美術館作品に見られるが、本作ではさらにおおらかで大胆なタッチとなっており、これらの表現は20 世紀初頭の絵画運動であるフォーヴィスムにも通じるだろう。画家は第1 次滞欧の最後の1、2 年にフォーヴ風の小品を多く描いていたので、本作からはヨーロッパの新表現を用いて、日本の風土をどう描くか試行錯誤していたことがうかがえる。
ぜひ、今回出品作から児島虎次郎の多彩な世界を楽しんでいただきたい。