LOT.127

Pablo Picasso (パブロ・ピカソ)〈1881-1973〉
Tête

  • 作品カテゴリ: メイン洋画
  • 30.8×22.0cm
  • カートン紙・クレヨン・鉛筆・額装
  • 左上にサイン、年記・裏面に年記 / 1971年
    / Maurice Jardot(Galerie Louise Leiris)鑑定書付・Claude Ruiz Picasso鑑定証書付
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  • 予想落札価格: ¥30,000,000~¥50,000,000

[掲載文献]:『PABLO PICASSO OEUVRES DE 1971-1972 vol.33』 No.177 掲載 (Christian Zervos(編), Cahiers d'Art(刊), Paris)
『Picasso's Paintings, Watercolors, Drawings and Sculpture; A Comprehensive Illustrated Catalogue 1885-1973: The Final Years 1970-1973』 P214 No.71-278掲載
(The Picasso Project, Alan Wofsy Fine Arts, San Francisco: 2004年)

[来歴]:
Galerie Louise Leiris(パリ)


【作品について】

 今回出品作《Tête》は、パブロ・ピカソがもうすぐで90 才をむかえる1971 年9 月8 日に描かれたもので、画面いっぱいに男性の肖像を表す。曲がりくねった描線が男性の顔を形づくり、背景の黄色と髪の緑、ところどころに置かれた白色という奇抜な配色は、子どものお絵描きのような自由さも感じさせる。しかし、輪郭線は奔放でありながら顔の造形を的確に表し、ハイライトのような白色の効果によって立体感が生まれ、決して偶然の産物ではないことがうかがえる。そして、向かって左側の顔は鼻や目の形から横顔であることがわかるのに対し、右側は正面向きとして認識することができ、このように多角的な物の形をひとつの面に収める構成は、ピカソが長年作品に取り入れつづけた特徴的な表現であった。無作為に見えて計算されたフォルムをもつ本作は、巨匠の為しえる技として、まさしくピカソらしいといえよう。
 本作は最晩年の作品であるが、描線は途切れることなくのびのびと引かれ、表情は力強く、明るい彩色は画家の溌溂とした気力を思わせ、死の直前までインスピレーションの尽きることのなかった画家のバイタリティを如実に伝える。そして、本作に見える要素はそれまでピカソが培ってきた独自の表現も見出すこともできるのである。

 1881 年にスペインで生まれたピカソは、美術教師である父からアカデミックな写実絵画を学び、10 代で卓越した描写力を発揮した。しかしアカデミー教育の内容に満足できず、美術館で巨匠ベラスケスから当時異端視されていたエル・グレコまでの名画を模写し、さまざまな芸術様式を吸収してゆく。
 その後パリに移住すると、模範的な形態描写を求めるアカデミズムと決別して、「青の時代」や「薔薇色の時代」でフォルムの歪曲や誇張などのデフォルメも厭わずに独自の絵画を追求する。そして1907 年作の《アビニヨンの娘》をきっかけに、物体のフォルムを極端に解体・幾何学化・抽象化し、線と面で再構築した「線による革命」ともいわれる画期的な表現であるキュビスムを創始し、西洋絵画の歴史を覆す芸術運動の立役者となった。しかしながらピカソはそこに留まらずに、次にキュビスムから180 度回転したような写実的なフォルムをもつ新古典主義、さらに自己の内面を解放するシュルレアリスムへと移行して、集大成ともいえる傑作《ゲルニカ》を生み出した。
 これほどまでに目まぐるしい変貌を遂げたことについて、画家自身が言葉を残す。「おそらく基本的に私は様式というものを持たない画家なのだ。様式はしばしば画家を同じヴィジョン、同じ技術、決まり切ったやり方の中に何年もの間、時には生涯にわたって閉じこめてしまう」
 つまりピカソは意識的に、様式という型に囚われることをきらい、絵画表現におけるあらゆる可能性を追求していったといえる。加えて《ゲルニカ》までのおよそ40 年間の画業は試行錯誤の期間ともいえ、戦後はようやく自らの表現を見つけたといわんばかりに、それまでにも増して多彩で豊かな創作に没頭していったのである。

 晩年のピカソは天衣無縫というべき自由な感覚にあふれた活動をみせるが、最晩年の10 年間で顕著なのが、自らのルーツに立ち戻ったかのように、若い頃に模写したベラスケスやグレコにちなんだ作品や、スペインらしい闘牛士やマスケット銃士などの主題に取り組んだことである。とくにマスケット銃士の男らしく勇敢な銃士の姿は、老いて身体の弱った画家の希望そのものであった。今回出品作は、典型的な銃士の表現とは異なるが、表情の力強さにはそれに近しい印象が見受けられる。
 昔取り組んだ題材が晩年になって再び現れるという点では、本作の特徴であるのびやかな描線が、シュルレアリスム時代の画家の作品に登場した、バイオモルフィックなフォルムと類似することも指摘できるだろう。バイオモルフィックとは生命形態的とも訳される言葉で、有機的で生命力を感じさせる、曲線によって象られたフォルムとでもいえる。このようなフォルムは、直線を主体とするキュビスムの建築的で、無機質なフォルムに対する反動として、ミロなどシュルレアリスムの作家たちがいち早く取り入れたもので、ピカソの作品にも1920 年代の半ばから頻繁に登場した。
 さらにもうひとつ、本作とこの時代とを結びつけられる特徴として、詩人アンドレ・ブルトンがシュルレアリスム運動の基本概念として提唱した「オートマティスム(自動記述)」もあげられよう。オートマティスムは「理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」として、先入観を捨ててあらかじめ何を書くかを考えずに自動的に書き進める手法であった。オートマティスムを彷彿とさせる本作の描線は、画家の内的なヴィジョンを迷いなく表出し、晩年の画家の有名な言葉である「絵画は私より強い。それは私を意のままに操る」を体現するかのようである。

 感覚のおもむくままに筆を運ぶことは、ピカソが老年になって取り組んだ「子どもの絵」にも通じる。子どもが描く絵は、純粋で自由な意図が画面に表され、なおかつ対象の本質を直感的に見抜いており、幼い頃からラファエロのような絵が描けたと豪語する画家にとって新鮮な表現であり、目指した境地でもあった。本作は、長い画業のなかで積み重ねられた表現が複雑に絡み合う、晩年の時代だからこそ生まれた1 作である。