LOT.125
Maurice Utrillo(モーリス・ユトリロ)〈1883-1955〉
La Maison de Mimi Pinson, Rue du Mont-Cenis à Montmartre (モンマルトルのミミ・パンソンの家)
[掲載文献]:
『L'œuvre Complet de Maurice Utrillo, tome Ⅰ』 P424 No.358 掲載 (Paul Pétridès:1958年)
『Soderstrom Osakeyhtio』P204 掲載 (S. Saarikivi:1959年)
『Paris vu par les peintres』P84-85 掲載 (J. Wilhem:1961年)
『Utrillo』No.24 掲載 (Hongrie:1970年)
『現代世界美術全集16 モディリアーニ/ユトリロ』No.53 掲載 (集英社:1971年)
『世界美術全集24 モディリアーニ/ユトリロ』No.16 掲載(小学館:1977年)
『Utrillo』No.35 掲載 (I. Fortunescu:1973年)
『Maurice Utrillo』P67 掲載 (Crown Publishers:1983年)
『L'œuvre Complet de Maurice Utrillo, periode blanche, Tome I』No.239 掲載 (J. Fabris et C. Paillier:2009年)
[展覧会歴]:
『Utrillo』No.35として出品 (Wildenstein Gallery - ニューヨーク:1957年)
『Cent tableaux par Utrillo』No.56として出品 (Galerie Charpentier - パリ:1959年)
『Maurice utrillo, Suzanne Valadon』No.53として出品 (haus der Kunst - ミュンヘン:1960年)
『ユトリロ展』No.32として出品 (毎日新聞社 - 東京:1967年)
『Utrillo-Valadon』No.17として出品 (東京:1972年)
『Maurice Utrillo』No.22として出品 (Wildenstein - クレモナ:1980年)
[来歴]:
Collection Galerie Pétridès (パリ)
【作品について】
「……ああ、鄙びた一画があり、自由気ままな生活の習慣が残っているあのモンマルトル! 他とは異なる、自主独立の雰囲気のあるパリのあの地区には、何と記すべき話が多いことだろう!
……もし思いが叶うなら、……石灰塗りの家々の並んだ道の絵か、何かを描きたい」
パリ・モンマルトルで生まれ育ったモーリス・ユトリロは、パリの風景を生涯にわたって描き続けた。今回出品作《La Maison de Mimi Pinson,Rue du Mont-Cenis à Montmartre( モンマルトルのミミ・パンソンの家)》もまた、画家にとってなじみぶかい風景を描いたものである。そして本作が制作された1913 年頃は、彼の画業において「白の時代」と呼ばれる、傑作を次々と生み出していった時期にあたり、本作でも画家の代名詞ともいえる独特の白色が画面を彩る。
本作は、モンマルトルの丘の北側にある白壁の「ミミ・パンソンの家」と、その前を通るモン=スニ通りの風景を描く。ミミ・パンソンとは、19世紀ロマン主義の作家アルフレッド・ミュッセの短編小説に登場するお針子の名前であり、作品のタイトルにもなっている。貧しくとも陽気で、友達思いのミミ・パンソンは、ミュッセの作品以外でも人々に愛され、多くの作家のオペレッタや映画のインスピレーションの源となり、架空の人物でありながらモン= スニ通り18 番地に実在する建物が「ミミ・パンソンの家」と呼ばれて、モンマルトルのシンボルのひとつとなった。ユトリロは本作以外でも、この家とモン=スニ通りの風景をたびたび描いており、モンマルトルのなかでもとくに愛着のある光景であったことが偲ばれる。
2つの家の白い壁は、オレンジ色の屋根や、あざやかな葉が茂る木立とも乖離し、画面からぽっかりと浮かびあがる。灰色や緑を帯びて、凹凸感のある白壁の絵肌からは、古びて汚れた、ざらついた手触りをしている漆喰の現実性が表出する。
重厚な白壁に対して、空は淡く明るい青色であるが、よく見るとうすい灰色が靄のようにかかり、おおらかな筆致もあいまって、どこか空虚さをただよわせる。その表現、細やかなニュアンスにあふれる白壁とは対照的で、むしろ白壁の存在感を強調しているだろう。
この独特の白と重厚なマチエールこそが、画家の「白の時代」を象徴する表現であり、そこには画家の感性が深く息づく。
詩人・小説家のフランシス・カルコが、「パリの思い出にたったひとつしか持っていけないとしたら、何を選びますか」と質問したとき、ユトリロは迷うことなく「漆喰のかけら」と答えた。
ユトリロは1883 年にモンマルトルで生まれ、母のシュザンヌ・ヴァラドンはお針子をしながら巨匠たちのモデルをつとめ、のちに画家としても大成した。幼少期のユトリロはそんな忙しい母に放っておかれるばかりで、ひとり漆喰の壁にいたずら書きをしたり、落ちた漆喰のかけらで遊んで過ごした。十代になると孤独を紛らわせるためにアルコールに溺れて、さまざまな問題を起こしたすえに精神病院へ入院する。そして、治療の一環として医師に勧められたのをきっかけに絵筆をとり、自らの心を慰めるように次々と絵を描いていった。
1908 年頃から、愛するモンマルトルを主な題材とするようになると、「白の時代」の由来となった独特の白色が画面に現れるようになる。
ユトリロにとって漆喰は、カルコとのエピソードからも察するに、子どもの頃より唯一心を通わせた存在であっただろう。本作に登場する漆喰の壁には、画家の手になじんだ触感が再現され、塗り重ねられた絵具には、画家の孤独や悲哀がこめられている。
また構図に注目すると、画面上部のほとんどを青空が占め、下半分も白壁が立ちはだかり、見える街並みの範囲はとても狭い。さらに、階段を下りてふもとへとつながるモン=スニ通りは、途中で折れ曲がり、先を見通すことができない。本来、モンマルトルの丘からはパリの街が一望できるはずなのだが、本作は行き詰まるような印象をもつ。そこには、酒を飲んでは暴れてしまうため、周囲に監視され、ときには病院に入らざるをえなかったユトリロの閉塞感が表されているのかもしれない。にぎやかな街並みや生き生きとした木立を、白壁がへだてている姿も、画家が手に入れることのできなかった自由や健康への羨望をより一層引き立てている。
そして、題材となっているミミ・パンソンの家が、ユトリロにとって思い入れのある存在であった理由には、モンマルトルのミューズであったミミ・パンソンのイメージが、愛する母のヴァラドンとかぶったからかもしれない。郷愁と孤独、悲哀と思慕など、いくつもの感情が融合する本作の風景は、画家そのものを象徴するともいえるだろう。
複雑なニュアンスをもつ色彩に繊細な情感をにじませ、パリの風景に哀愁をこめたユトリロの絵画は多くの人々を魅了した。そのなかでも絶頂期に描かれた本作は、複数の美術全集にも掲載されており、画家の代表作のひとつに数えられるといっても過言ではないだろう。画家が抱えていた思いを語る1 作であり、そして画家の魅力を存分に伝える名品に、ぜひご注目いただきたい。