LOT.195
名所絵図屏風
〈作家・作品について〉
今回出品作は、六曲一双の各扇ずつ、すなわち12 の図面に渡って日本各地の景物を表した名所絵図屏風で、各所は札が貼られて名称も明らかにされている。
右隻から、日光東照宮などの関東以北(第1 扇)、気比神宮など北陸周辺(第2 扇)、竹生島・鳳来寺などの近畿から中部地方(第3 扇)、神田明神・浅草などの江戸風景(第4 扇)、富士山・江の島など関東周辺(第5 扇)、比叡山・熱田神宮など近畿周辺(第6 扇)が描かれる。
左隻では、高雄・三十三間堂などの洛北から洛中(第1 扇)、吉野山や北野天神・清水寺など(第2 扇)、奈良の春日大社・洛中の東寺・宇治の平等院など(第3 扇)、高野山・伊勢神宮など紀伊半島(第4 扇)、鳴門の渦潮・厳島神社などの中国・四国(第5 扇)、阿蘇山や太宰府天満宮など九州各地(第6 扇)が描かれる。
全国の離れ離れの土地が寄せ集まり、梅(天満宮)や桜(吉野山)、紅葉(高雄)といった四季も織り交ざるが、たなびく金雲の効果によって、画面は破綻なくまとめられる。そのなかで名所それぞれの特徴や景観を細やかに描写し、行き交う人々の表情やしぐさは簡略でありながら生き生きと表現されている。
実在する名所景物を表した屏風絵は室町時代から隆盛を見せたが、それらは祇園祭を中心にした洛中洛外図や、近江八景や富士山といった景観図など、特定の場所をクローズアップした作例が多い。しかし江戸時代以降、上下を問わず各階層の人気を得て最も普及したのが、各地の名所を一画面にまとめて描きだす名所絵図屏風であった。
その流行の背景には、太平の世となり全国への参詣行楽が容易となったこと、元禄期(17 世紀後半~ 18 世紀初頭)に活発となった名所案内記などの刊行により、大衆が各地の情報に触れ、諸名所への憧れが支えになったことが指摘されている。
今回出品作も、元禄3 年(1690)に鋳造された江戸・谷中の大仏(右隻第4扇)の存在や人々の装いから元禄頃の風俗を表していると見え、物見遊山を楽しむ雰囲気がありありと伝わる様は、当時の気風が反映されているだろう。
また本作には、現存しない名所や、現在の姿とは異なる様相も見ることができる。
まず、左隻第1 扇の下部に「大佛」と札の貼られた建物があり、これは豊臣秀吉の発願で建立された方広寺大仏殿で、建物のなかには金色に輝く大仏の一部が見える。この大仏はたび重なる災害によって今では失われ、本作は在りし日の様子を伝えている。
ほかにも興味深いのが奈良・東大寺(左隻第3 扇)で、現在は大仏殿に収まる大仏が、本作では野外に描かれる。東大寺は戦国時代に大仏殿を焼亡し、大仏も頭部などを大きく損傷したが、元禄4 年に大仏が修理され、大仏殿は宝永6 年(1709)に完成するので、本作はわずかな期間における大仏の姿を残している点で希少であろう。
本作は見れば見るほど面白さを発見できる、名所絵図屏風の魅力が尽きない1 作である。