LOT.132
Moïse Kisling(モイーズ・キスリング)〈1891-1953〉
Jeune fille
[掲載文献]:
『KISLING 1891-1953 TOME Ⅲ』P141, No.91 掲載 (Jean Kisling:1995年)
Marc Ottaviによって準備中の『KISLING Volume IV and Additions to Volumes I, II and III』に掲載予定
[来歴]:
Collection Terechkovitch(パリ)
Collection Riffaud(ボルドー)
個人蔵(東京)
〈作家・作品について〉
20 世紀初頭のパリでは、新しい美術の潮流がつぎつぎと生まれるとともに、それぞれの個性に根ざした独自の作風をもつ芸術家たちが活躍した。彼らはエコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれて一時代を築いたが、その代表的な画家で、仲間たちのリーダー的存在でもあったのが、モイーズ・キスリングである。
キスリングは人物や花など多様な題材を手がけ、とくにどこか哀愁を帯びた優雅な肖像画で多くの人々を魅了した。今回出品作も画家が得意とした、なめらかなフォルムと独特の眼差しをもつ女性像で、輪郭のシンプルな表現は人体の造形を単純化しながら本質的な部分を残し、彫刻のようにモニュメンタルな存在感をモデルに与え、画家ならではの魅力をかもしだす。
一方、色彩は白を基調としており、他の作品でよく見られる宝石のように艶やかで鮮やかな色づかいとは異なるものであるが、華奢なモデルとあいまって雪のように儚い印象を思わせ、画家の新たな一面をのぞかせる。
画面右上、サインのそばには「à mon ami Terechkovitch(我が友テレスコヴィッチへ)」と書いてあり、本作が画家の友人に贈られたものであることがわかる。その友人とはおそらく、ロシア出身の画家コンスタンティン・テレスコヴィッチを指し、1920 年頃にパリに出てキスリングや多くの画家と交流したことで知られており、本作からふたりの画家の友情を偲ぶことができるだろう。
その背景から、モデルの女性も民族衣装を着たロシア系の人物とも考えられ、本作のもつ淡く清純な雰囲気は、モデル自身に対するものでだけでなく、画家が友人やロシア文化に抱いていた印象を伝えているようでもある。
ポーランドの古都クラクフのユダヤ人家庭に生まれたキスリングは、地元の美術学校にてルノワールやボナールと親交があった画家パンキェヴィッチから印象派やセザンヌを教わり、優秀な画家になるためにはパリ以外にありえないと示唆されると、卒業後に19 歳でパリへと向かった。
キスリングは世界各地から芸術家たちが集うパリにて、ピカソらのキュビズムなどに触れながら独自の作風を創りあげてゆく。1913 年からエコール・ド・パリの中心地となるモンパルナスに居を構えると、陽気で面倒見の良い性格ゆえに仲間に慕われ、有名な女優や有力者の肖像画も多く手がけ、その成功から「モンパルナスの帝王」とも称された。
本作が描かれた頃はエコール・ド・パリの最盛期にあたり、キスリングにとっても個展やグループ展を成功させ、各社から評論も出されるなど、ますます名声を高めている時期であった。その頃に友人へプレゼントされた本作は、画家の魅力を味わるとともに、人気画家として多忙であっても友情を大切にするキスリングの人柄も感じさせる貴重な1 作である。